カテゴリ:考えていること( 67 )

お金のかけどころ

前の記事からの続きです。

無料広告ありブログやHPを使うことについて、なんとなくそう決めたわけではありません。
かといって、ものすごくこだわったポリシーがあるわけでもありません。
つまりは、どっちでもいいかな、程度の事です。

それならば、限りあるお金をどう使うか、という話しです。
私は何よりも楽器にお金を使いたいと考えてきました。
親が所有していたアップライトを除き、私は今までグランドピアノを4台持ち、オーバーホール1台を経験しました。
(文章に書くととても品のない事かもしれませんが、楽器に対する価値観を伝えたいだけなのでお許しください)
悲しいことに、ピアノは消耗品です。
弾いていれば必ず傷んでしまうものです。
また、作られた年代によってピアノの材質や品質が違っているとも聞きます。
伸びた弦、古いハンマーが悲鳴をあげる音は体に辛く、だんだん耐えがたいものになってしまいます。
ピアノを買い替えたりオーバーホールをすることは大きな決断でしたが、その力を出せたことは、自分の人生でとても大きなものだったと思います。
それを許してくれた家族には感謝しかありません。

新品グランドピアノを3台弾いたこと、オーバーホールしたてのピアノの状態を経験できたこと、
その経験があったうえで、1957年製スタインウェイを所有できたのは意味がとても深かったのです。
このスタインウェイは前の所有者がオーバホールしたての音に耐え切れず手放したと聞きましたが、それもそのはず。
オーバーホールしたての弦とハンマーは、工場から新品で出荷されるピアノとはわけが違います。
私はオーバーホールしたピアノがどう変化していくのかを知っていたので、このスタインウェイがどう変わっていくかが想像できました。
そして数年後の今、その想像の通りになりました。

こんな話しをここに綴っているといつまでも止まりません。
語りたい事、伝えたい事はたくさんあります。

でも今日の記事の「お金のかけどころ」というタイトルに戻るならば、
自分にとっての「ピアノ教室に大切なもの」は、見栄えよりも別な所にあるということです。
そう考えた時に、いくら仕事とはいえ、個人のピアノ教室のブログやHPに広告が入っても別にどうってことではないなぁ、と感じるのです。
そりゃ入らない方がキレイですけどね(笑)





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by kabopiano | 2017-09-02 20:36 | 考えていること | Comments(0)

また新たに

長らく更新をしていませんでしたが、またこれから新たに書いていこうと思います。

この教室は今まで母の私と、娘の2人でレッスンをしてきましたが、7月末の発表会をもって娘が結婚退職をしたので、これからはまた6年前のように、私1人で教室を続けていきます。
今後ともよろしくお願いします。

全国的に猛暑らしいですが、昨夜からの仙台はとても涼しくて、クーラーも扇風機も必要ありません。
暑い地域に向かってゴメンネ~とつぶやきながら、この涼しさを満喫しています。
みなさん、熱中症にお気をつけくださいね。

                                  かじはらかおる

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by kabopiano | 2016-08-10 12:19 | 考えていること | Comments(2)

ゆく道くる道

ピアノを教えていると、自分のピアノ人生を振り返る機会がたびたびあります。
普通のコースで積み上げてきたこともあれば、違う角度から補ってきた部分も相当たくさんあったなぁとも思います。

たとえば先日、クーラウのソナチネOp.55-2の第3楽章をレッスンしていた時。
自分が生徒に話している内容が、子どもの頃に弾いたり教わった経験というよりも、学生時代にやったオペラの経験も大きいなあと実感しました。
と言っても私は歌は歌えません(笑)伴奏ピアニストや合唱隊、またヴィオラとしてオーケストラ伴奏に関わったりしていました。
このソナチネの曲の展開は、全部が全部あてはまるわけじゃないけどオペラの1幕フィナーレっぽい部分があるなあと思いました。
これまでアリアやレチタティーヴォでは、一つの場面やそのときの心情をクローズアップして進めてきたストーリーが、フィナーレになると突然登場人物がほぼ大集合してそれぞれの思惑を語っていったり、隠し事が明るみになって大慌てになったりと、いきなりギュっとしてグチャってする感じ。
曲の解釈に対する根拠や考えを厚くしていくことの大切さを改めて実感した次第です。

それを考えたら、ピアノを習いに来ている生徒達は本当にすごいなぁ偉いなぁと思います。
継続する、積み重ねるというのは一つ一つの語法を覚えていくようなもので、ソナチネひとつとっても「譜読みしておいで~」と言ったら、きちんと自分なりに覚えた語法を使って表現をつけてきます。
「音符が読めてリズムがわかったら終わりじゃない」と言われた言葉が心に刺さります。
その先がいかに果てしないことか。(音符とリズムを正確にするのもよっぽど難しいのに。)

私は一時期、ずっと苦労して追いつかなくてという思いを抱えてたこともあったけれど、違うコースをたどっていったらより深く理解できるようになっていたこともたくさんありました。
全部の経験が無駄じゃないんだよ、マジメにやったことは血肉になってるよ、と生徒に伝えてあげたいです。そして当時の自分にも。

ちなみにクーラウってオペラ書いてたんですね。知らなんだ…。




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by kabopiano | 2015-12-02 12:47 | 考えていること | Comments(0)

かじはらピアノ教室のCMがあったなら

「ピアノ上達の一番簡単な方法は、1.練習。」
【常時 鬼怒子 先生(練習促進術)】


「ピアノなんて楽器なんだ、こんなものやれば誰だって弾けるようになる!」
【黒井 鍵 先生(精神論)】


「楽譜を、どう読んでいくかということ。」
【本田 らけ 先生(アナリーゼ)】


「指づかいがすべて、瞬時に導ける。」
【五指 良男 先生(運指法)】


「練習の目的がちょっとでもあいまいになってくると、途中で間違ってくるんだよ。」
【進藤 正道 先生(トレーニングコーチ)】


「朝一の平均律が怖いってことを、今日何度も言っときます。」
【三声 探 先生(古典)】


「じゃ、いつ弾くか。今でしょ。」
【梶原 さくら 先生(こたつ)】


…っていうことを考えていたら、貴重な一日が終わっていました。
そんなわけで新年度です。
みなさん、春からピアノを始めてみませんか。
きっと楽しいよ~
さぁ明日も(は)がんばりましょうね!

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by kabopiano | 2013-04-02 00:02 | 考えていること | Comments(2)

上司から学び、時に削ぎ落とす

うちの教室は先生2人体制でやっています。
私は上司のおなかから産み落とされたので、1親等のバリバリの血縁関係にあります。
ですが似通ったところはあっても、基本的に個性が全く違う2人です。
どんなふうに違うかは、ぜひ直接ご覧あれ(笑)

ピアノのレッスンを例にとると、上司は生徒をグイっと引き上げるのが得意です。
生徒がなにかに立ち向かわなきゃいけない時、臆することのないアクセルの踏み方を教えられるのは、自分が何山も越えてきたからなのでしょうな。

一方私は、なんていうのかな~。そのへんが緩めです(苦笑)
経験してきたことの質と量の差もあるとは思いますが。
私はまぁいいか主義的な所があるので、それが良く作用することも悪く作用することもあり。
ちゃんと教えてるつもりだけどね!てきとーに手抜きで教えてるわけじゃないですよ!

例を挙げていくときりがありませんが、細かい所を見ていくと本当にいろいろな違いがあります。
まぁでも個人教室でありながら人のやり方を見て学べるというのは、なかなかありがたい環境です。
自分に足りないところや新しい方法を補足していけるのはもちろんですが、ほんとに時々「私のこの部分イケてるかも!」と思えることがあります(笑)でもごくまれです。

しかし、「上司のこういうやり方や持っていき方はいいなぁ」と思っても、それを自分にそのまま採用してしまうとちぐはぐになってしまうことがあります。
いつだったか、生徒への連絡メールを出しておいてと言われた事がありました。
「〇〇、△△、□□っていうことを伝えてね」
と言われたのでその通りにメールを作ったのですが、読み返してみると私から送るメールとしてはかなり違う雰囲気のものが出来上がりました。

内容は変えずに文面だけを微妙に変えたのですが、私と上司はキャラも違えば立場も違うわけです。
同じことを生徒に言うのでも、上司と私の言葉のチョイスや言葉のかけ方はそれぞれに違います。
ちゃんと自分のフィルターを通してからからでなくては、ただの借り物の言葉や行いです。
上司のマネして上司の服を着てみたら、着れたは着れたものの肩幅は合わないし長さも足りないし、なんとなくフィットしない、そういう感じの違和感でした。

方向性は同じでも、上司は上司、私は私です。
必要なところはどんどん盗みつつ、自分に合わないところは自分に似合うように丈をつめたりボタンをはずしたりしてリメイクしていかないとなぁと思いました。
みんなちがってみんなE。
かじこみすず


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by kabopiano | 2013-02-07 14:26 | 考えていること | Comments(0)

感じる訓練

音楽って不思議だなぁと思います。

優れた曲というのはとんでもなく学術的で綿密に計算され尽くされた物理の問題のようで、演奏者とはその解答を朗読役者のように美しく丁寧に読み上げているかのようです。
もっと言えば、その演奏とはアスリート的な厳しいトレーニングの積み重ねによるってできるものだし。

それでいて音楽は、人のこころに直接ガツンと働きかけてきます。

音楽ほど理性的で知性的で感覚に訴えるものが、この世に存在するでしょうか。(反語)
大げさに聞こえるけど、そうとすら思うんです。ちなみに物理は未履修です☆

そういえば先日「感じる訓練をする」ということを、音楽とは全然関係ない人と話していた時に話題にしました。
厳密には感じるということは受動的なことで、何かの刺激に対して勝手に反応しちゃうものなのでコントロールすることはできません。
しかし感性を敏感に研ぎ澄まして「私はどう感じたか」ということをよく見つめることにより、多くのことを感じ取ることはできます。そういった意味で「感じる訓練」という表現を使っています。

音楽を演奏する人はきっと「耳を育てる」とか「自分の出した音をしっかり聞きなさい」というフレーズを聞いた事があるかと思います。
それは文字通り耳を肥大させることでもピアノのを弾いているのにピアノの音が聞こえないという意味でもなくて(笑)、ざっくり言うと否応なしに音が聞こえてしまっているだけの受動的な状態から、どんな音が出ているかを自分の感性でとらえて音を一から作る創造的な方向にシフトしましょう、という意味。

自分の感性でとらえてという部分が何より大切なのは、私たちは同じ体の器官を持っていても、誰一人として全く同じ体と脳の持ち主はいないからです。
そうであるならば、一人ひとりの感覚や感性が違うのは至極当然です。
感性が個人固有のものなんだから、音を聞いて作る作業において自分自身が関わらないと始まりません。先生はそれを手助けしてくれるだけです。

つまり「耳を育てる」と「感じる訓練をする」ということには、深い関わりがあるのではないかと思います。
感覚的になにかを感じることは、きっとほとんど誰もが自然と行っていることでしょう。
けれど「感じる訓練」はもっと能動的で、音楽で言うと演奏や表現に直結するものであると思うのです。
最初の方に書きましたが、私は音楽に触れるとき本当に様々な要素を感じます。
ただの線と点の羅列から数字や言語を感じたり、ただのピアノの一音から質感や温度を感じることもあれば、音を聴いたときの印象が味覚や臭覚とリンクすることもあります。

そのように自分が自分の感性で感じ取ったものを、言語や数字や物理などなど様々な媒体を通して今度は相手が相手自身の感性によって受け取るから、音楽は理性的で知性的で感覚に訴えるという希有な芸術なのかなと思いました。
わからないなりに数学の勉強やってて美を感じることももちろんあるけど、私は音楽しかここまで勉強したことがないから音楽は特にすごいなぁと思っちゃうのさ。

ね、なんかすごいことだと思いませんか?




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by kabopiano | 2013-02-03 20:19 | 考えていること | Comments(5)

今、求められる教室の資質…

我がブログがめったに出さない(=出せない?)、賢い感じの題名にしてみました。どうかな?
どうもわたしです。

唐突にこんな題名にしたのもここ数日、生徒は私たちに&ピアノに何を求めて教室に来てくれてるんだろうかと考えていまして。
なんか自分探し中の人みたいなこと言ってるけど(笑)

子どもにピアノを習わせている親御さんはほぼ全員、我が子にピアノが弾けるようになってほしい、上達してほしいと思ってレッスンに通わせていることでしょう。
自分から求めてピアノ教室の門戸を叩いた方については、もう言うまでもないですね。
このように「ピアノを弾きたい」という入口から入ったにもかかわらず、生徒一人ひとりがピアノに求めるものは、同じように見えてもそれぞれ違います。

どんどん曲数をこなしてコンクールなどにも積極的に挑戦したい人もいれば、自分のペースで憧れの曲を弾いてよろこびいっぱいの人もいます。
また総合的な訓練も兼ねて習う人、ベビーシッター的に子どもを預けている人(笑)、本当に様々なスタンスでそれぞれやっているなあと思います。
それは大人も子どもも、友達でも同じ家庭で育った兄弟どうしでも一人ひとりニーズは違うのです。

その中でも45分のレッスンが最後までできるだけでも花丸の人、1週間で1曲を10回練習できたら大成功の人、レッスンに毎週通うだけでパーフェクトな人もいれば、1日何時間も練習したってこれじゃだめだと叱られる人、とにかく様々ですが、そこに優劣があるとは私は思いません。
「ピアノを弾けるようになりたい」という根幹は同じでも、例えば音大受験を考えている人と、細く長くピアノを一生の楽しみとして続けていきたいと考えている人では、見据える先は自ずと変わってくるでしょう。
ただ単にそれだけの違いだと思うんです。

現時点でピアノをどれくらい弾けるかという観点だけで優劣をつけようと思ったら、まーそりゃランキング形式で1位から最下位までが決められるでしょう。。
しかしそんなものは、ピアノを弾いている年数や始めた年齢、現在の年齢、そして環境や状況によっていくらでも変わってしまう、何の意味もない暫定ランキングです。
何の意味もない、って乱暴な言葉に聞こえるかもしれないけど、ピアノは徒競走じゃないですもん。周りと比べたって上手くも下手にもならない習い事なんですもん。
(人からいい刺激を受けることはたくさんアルヨネ!でもそれは比較ジャナイヨネ!)

それでも周りと比べちゃって悔しかったり悲しかったり不安になったり劣等感の塊になることはあります。ありました。
その点に関しては私はかなり経験豊富でプロ顔負けだと自負しております。結構まじですよ。
それは音楽の道に進むと進路を決めた時点で避けては通れないことでした。
どの世界でも評価され点数がつきますが、音楽の世界には独特のシビアさがあります。評価比較評価比較の世界の中に生きているような面もあるように思います。
でもそこは本筋ではないので割愛しますね。
けれどそれでも、私は最終的にピアノを弾くことは他との比較ではないとはっきり思うのです。

今ピアノを弾いて未来にどうなりたいかは、前述の通りほんとにそれぞれ違います。
でも今ピアノを弾き続けるということの意味を突き詰めて考えると、ゴールはピアニストになることでも趣味で楽しく弾き続けることでもなく、その更に先にあることだと思うんです。
その先にあるもの、私は「ピアノが生きていく上でのよろこびになる」ことだと考えています。

私は「みんなが特別だからみんなが主役。参加することに意義がある」というお遊戯会的意味で、生徒たちにピアノのレッスンに通ったり人前で弾くことを推奨してはいません。参加することに意義はあるけどね(笑)
「ピアノを弾けるあなたが特別。それは将来絶対自分に還ってくるから、ぜひ楽しんで弾いてほしい」
と思っているから、こんなにもピアノを推奨するわけです。

ピアノの先生でも音大生でも趣味で習ってる人でも、ピアノが弾けることで楽しいと感じたりうれしいと感じたりすることが、人生の中で大きな力や自信や励みになる瞬間がきっとあると思います。
別に「あぁ、自分にはピアノじゃないな」と思ったらサラっとやめたっていいんです。
でもピアノが弾けるとか音楽ができるっていうのはほんとに特別ですごいことで、クサいですけど宝物のようなことだと私は感じます。
大げさに聞こえるかもしれないけど、何を目指してる人にとってもピアノを弾いたことがいつか人生の糧になるっていうことを私は知っています。
だからピアノが好きな人にはチャンスがある限りピアノを弾いてほしいし、状況が許す限り弾き続けて欲しいと願ってやみません。






けどこういうこと言うのって、人によってはかえって迷惑で暑苦しいんだろうか、、、



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by kabopiano | 2013-01-30 00:12 | 考えていること | Comments(2)

同期の同僚が欲しい

題名はただなんとなくです。。
そんなわけでみなさんご存じの通り(?)、私には「同僚」という人がいません。
それは個人のピアノ教室の宿命でもありますが。。
同年代の友達や知り合いに音楽教室の先生をしている人はもちろんいます。
けれども常日頃仕事について話したり、日常的に会って話せる状況の同年代先生友達が、よく考えたら私にはいないのです。
同期の同僚とか、憧れちゃうな~。
でも同期の同僚がほしいと願うのは「おかあさん、おにいちゃん生んで!」というくらい無茶な話で。

同期はいないけれど、その分先輩先生方とお話しする機会が多くあるので、それは本当にありがたいなぁと思っています。
そういう状況の中で先輩方を見ていると、自分の至らない点ばかりが目につくことがあります。
例えばベテラン先生がしているコンクールや発表の場に向けての生徒の持っていき方、進路指導、思春期の生徒との関わり方などを見ていると、ピアノを教えるプラスアルファの「なにか」が自分には決定的に足りていないことを思い知らされます。
それはピアノ教師としての経験の差であるかもしれないし、人生経験の差に依る所も大きいのかもとは思います。
結婚してお子さんがいらっしゃる先生などは、自分の子供を実際に育てた経験が生きてくる場面も多いのではないでしょうか。

かと言って、結婚していなくて子どもがいない先生の人生経験が浅いとは思いません。
子どもをもってわかることはとてもたくさんあると思いますが、違うルートから、すなわち他の体験をすることで同じような地点にたどり着くことは可能だと思うからです。(でもケースバイケースね。)
そういった意味で、私にしかない持ち味というのがどこかにあるんだろうとは思います。
でも繰り返しになりますが、現状で私はそれを発揮できていません。

「私は将来これができるようになるんだろうか」
「これが理解できる日がくるんだろうか」
と考え始めると、現時点で先輩方と同じようにできなくても当たり前なのですが、それでも焦ります。

以前これと似たような気持ちを、車の運転で感じたことがありました。
まだ免許とりたてのわかば時代、なかなか運転が難しくて。。
老いも若きもみんな普通に運転してるのが意味わかんないと思ってました。
みんな「慣れだよ☆」とか言うけど、じゃぁ何キロor何時間走ったら慣れるのかはっきり教えてくれ!と言いたいくらいでした(笑)

でもある日気づいたんです。
運転してる人全員が運転の達人に見えていたけど、よくよく見たらどんくさそうなおばちゃん(失礼)も車運転してる。
てことは、このおばちゃんは運転歴が長いからなんとかやっているように見えるだけで、スタートは私と同じようなレベルだったんじゃ…。
そして私はこのおばちゃんよりはどんくさくなさそうだし(超失礼)、おばちゃんと同じ年数運転すれば一応あれくらいは運転できるようになるんじゃ?
そう考えて運転するようになって現在は、当時のように過剰に怖がることなく車を運転できるようになりました。
ただ、その名も知らぬおばちゃんにはほんとに悪いけど。

問題を先送りする訳ではないけれど、物事には今できることと将来できるようになることがあって、現時点でできなくてもしょうがないこともあるんだと考えた時に、ふっと気持ちが楽になりました。
今できることを増やしていくことが「将来できるようになること」につながるのは確かです。
その上で、自分に今足りないことや近い将来できるようになるべきことをできるだけたくさん自覚することが意外とキモなのかもしれないと感じています。
なぜなら今までの人生で、こうなりたい・できるようになりたいと思っていたことって実は少しずつ身について、いつの間にか当たり前のようにできていたなぁと思うからです。

気づくことができた弱点っていうのは、もう実は自分の手の届く範疇にあるんですね。
そう考えると今たくさん感じている至らなさや弱点は、50歳でできるようになるか80歳かはわからないけれどきっといつか強みになるはず。ですよね?


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by kabopiano | 2013-01-18 18:33 | 考えていること | Comments(0)

音楽やる人みんなに質問です!

1曲で30ページの大曲(秋田のおおまがりではない)と、各2ページの曲が15曲集まった組曲形式の曲を演奏するとしたら、みなさんはどちらがいいですか?






私なら前者の30ページで1曲の方ですかね~。

ある程度弾けるようになったら組曲的な曲は楽しいんですけど、譜読みの段階なら確実に大曲の方が私はやりやすいです。
ん~なんて言うかなぁ、長い長い大曲といえども曲の中には緩急がありますよね。
だからポイントを押さえて練習しやすい感じがあります。

一方で組曲は、短いと言えども形式に沿って作ってあります。
短いページの中にエッセンスを凝縮するわけなので、大曲の中の2ページを進めるのと組曲の中の1曲を仕上げるのとではまた違う大変さがあるなと思うのです。

例えて言うなら、同じ長さの布から大きな男性用の服を1枚作るか、新生児用の服を15枚作るか。みたいな。

勘のいい読者の方はお気づきでしょうが、つまり今度は組曲的なやつに悩まされてるってこと☆
関係ないけど、雪かきのむなしさって譜読みの果てしなさにぼーぜんとしてる時の気持ちに似てる。
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みなさんはDOTCH派ですか?


時々クリックしてね。
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by kabopiano | 2013-01-15 16:04 | 考えていること | Comments(0)

自分に自信がないです

みんなはどうなんだろう。わからないけど、私は自分に自信が持てません。
それは自分自身のことについても、ピアノのことについても。
自信は小さな成功体験の積み重ねで得られるものだと考えていますが、それがあまりなかった。というか失敗体験ばっかりだよ。
ネガティブになっているわけではなくて、ほんとにそうだったんだもん。

自信がないから萎縮しちゃって、萎縮するから本来できそうなことまでできなくなっての悪循環。
いやいやそんなこと言う割にアンタ態度デカいじゃん!って思う人もいるかもだけど(笑)
そんな失敗をしたり苦い思いをする上に、そうかと言って合格ラインには達せないとわかってしまった私は、中途半端に生きることを選んでしまいました。

どうせいい結果が出ないとわかっているなら、割り切ってダメキャラで行こう。とか、
演奏はゴミみたいだってわかってるけど、「これが音楽というものです」みたいな顔しとこう。とか、
常に70点付近をうろうろしていれば、淘汰され流されながらなんとなくやっていけると思ったのです。

これがいけなかった。
何年もこういう思考のクセをつけてると、人間本当にそう考えるようになってしまうんですね。
虚構の自分の影にちっぽけな本当の自分がいることをわかっているのに見てみないふりをするというのは、問題から目を背けて先送りにするということです。
それが借金のように利息を付けてどんどん未来の自分にのしかかるわけです。
いつかは目を向けなければいけない恐怖と、いつまでもぬるま湯の中にいたい自分が共存していました。
そしてそういう時は、目標に向かって汗水たらしながら頑張っている人たちの中にいても、はたまた生き方なんてどうでもよくて今が楽しければいい人たちの中のどちらにいても、うしろめたさや心の重さが取れませんでした。

私は一生グレーゾーンの中にいるのかな?

ふと、こう思いました。
自信がないから身を隠すようにグレーゾーンの中にいて、何もできないとぼやくなんて変な話です。
私に足りないのは、実力よりも自信よりも何よりもまず「白ゾーンで生きていく」という決意でした。
何の覚悟もリスクも背負わないで、なにが「できない」だ、と。
こんな状態じゃ、できないと言うことすらおこがましい。。
1つ1つの問題に対して覚悟とできる限りの力を持って臨むと、結果がどうであれ不思議と後ろ暗さやもやもやは消え、自分はこうあるべきだったんだという安心感につつまれました。

そのようにして自分のギアを入れなおす瞬間が、人生の中で何度かありました。
そして現在私は、新しいギアを見つけて自分の手でつかんでいる手ごたえを感じています。
まだ自信や確信には至ってないし何の自信もついてないけど、以前の私と違うのは絶対に離すもんかと踏ん張っている所です。

例え大衆的な成功や栄光がなかったとしても、覚悟や決意を持って何かに向かっていく時、私はほんのちょこっとだけど自信を持てるような予感がしています。
わかんないけど、まだ。
でもなんか今はいろいろできるような気がしてるんだよね。
夜の独り言でした。



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by kabopiano | 2013-01-13 23:41 | 考えていること | Comments(2)

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